素直なままで

 

                  第9話

 

           誰かに呼ばれた気がして、龍麻は振り返った。だが、そこには漆黒の闇が
           広がるばかりで、何もない。龍麻は気のせいかと再び歩き出そうとした時、
           ふいに目の前に1人の少女が何の前触れもなく現れた。
           驚きに目を見張る龍麻に、少女はきょとんとした。
           「どうしたんですか?緋勇さん?」
           目の前の少女は、そう言ってにっこりと微笑んだ。
           「・・・いや・・・。何でも無い・・・・。」
           「そうですか。」
           少女は首を傾げると、儚げな笑顔を龍麻に向けた。
           “そうだ、俺はこの人と、祭に出かけて、家に帰る途中だったんだ・・・。”
           それなのに、何を驚いていたのだろうか。まるで、見知らぬ人物に出会ったような感覚に、
           龍麻は苦笑する。そんなはずがある訳ないのに。目の前にいる少女は、自分が良く
           知っている人物ではないか。今日の自分はどうかしている。龍麻は頭の中の霧を
           振り払うかのように、軽く頭を振る。
           「?どうしたんだ?」
           ふと視線を感じて、隣を歩く少女に微笑みかけた。少女は悲しそうに目を伏せると、
           ポツリと呟いた。
           「緋勇さん・・・・。奇跡って信じますか?」
           「奇跡?」
           どういう意味かと、さらに問いかけようと少女の肩に手を置こうとした瞬間、2人の間に
           炎が割って入った。
           「!!」
           火の勢いに、思わず怯んだ龍麻は、一瞬目を瞑った。そして、次に目を開けた時には、
           何時の間にか道場の中で炎に包まれていた。
           「一体・・・これは・・・・。」
           茫然と佇む龍麻の耳に、龍麻を呼ぶ少女の声が聞こえてきた。
           「・・・・緋勇さん・・・。」
           「無事かっ!」
           炎の向こうに、少女の姿を見つけ、龍麻は慌てて火の中に飛び込もうとしたが、
           背後から伸びてきた腕に、それは阻まれた。
           「行くな!お前まで巻き込まれる!!」
           それがどうしたというのだ!目の前の人間すら助けられずに、この世界を救えるもの
           かっ!と龍麻は自分を押さえつけている人物の腕を、振り向きざまに振り払った。
           “きょ・・・京一・・・。”
           そこには、仲間の1人である、蓬莱寺京一が真剣な表情で自分を見つめていた。
           「邪魔をするなっ!京梧!!」
           “えっ?京梧・・・・?”
           だが、自分が叫んだ名前は別の名前で・・・・。その事が余計に龍麻を混乱させた。
           「・・・・緋勇さん・・・。」 
           その声に、ハッと我に返り振り返ると、少女の身体は炎に包まれる直前だった。
           少女はにっこりと微笑むと、愛しげに足元に倒れている男の身体を抱き締めた。
           男は、確か少女の兄だったはずだ。
           茫然と佇む龍麻に、少女は今までにないほどの、晴れやかな笑顔で言った。 
           「緋勇さん。どうか悲しまないで下さい。この地を汚そうとした、私達兄妹の罪は、
           これでしか償えません。・・・ただ、もし、来世で出会えるのならば、その時は・・・・・。」
           少女の言葉は、落ちてきた梁によって、かき消された。
           「駄目だっ!逝くなーっ!!」
           少女の名前を叫ぼうとした瞬間、龍麻は目を覚ました。



           “あれは・・・あの夢は何だったんだろう・・・・。”
           龍麻は、傍らを歩く京一の姿を横目でちらりと見た。
           “確か・・・夢の中で<京梧>って・・・・。”
           後になって考えてみれば、夢に出てきた京一は、今と違い、髪も長く丁度時代劇に
           出てくる浪人の格好をしていた。
           “昨日、水戸黄門を見たせいかなぁ・・・・。”
           それにしても、リアルな夢だったと、龍麻がボーッと考えながら、歩いていると、
           女の子にぶつかってしまった。
           「すみません!大丈夫ですか?」
           慌てて助け起こそうと、差し伸べた手が途中で止まる。
           「ええ。大丈夫です。」
           にっこりと微笑んで、龍麻が差し出した手に掴まって立ち上がる少女の顔は、朝、
           夢で見た少女の顔だった。
           「・・・・あの、失礼ですが、何処かでお会いしませんでした?」
           あまり事に、茫然としている龍麻の顔をじっと見つめながら、少女は真剣な表情で
           言った。
           “確かに・・・夢で会っている・・・。でも・・・・。”
           それは、あくまでも夢だけの話な訳で・・・。
           「い・・いや。覚えがないけど・・・・。」
           何とかそれだけを言う龍麻に、少女は悲しそうな顔をした。
           「そうですか・・・・。」
           だが、次の瞬間少女はにっこりと微笑んだ。
           「私、比良坂沙夜って言います。」
           「俺は・・・緋勇龍麻・・・・。」
           紗夜は、龍麻の手を取ると、きつく握り締めた。
           「私、もう行かなきゃ。また、会えるといいですね。」
           そう呟くと、沙夜は人混みの中に紛れていった。
           唖然と見送る龍麻の背中を叩く者がいた。振り返ると、そこには息を切らしている
           京一の姿があった。
           「ったく。急に姿が見えなくなるから、心配したぜ。」
           「ごめん・・・。ちょっと、人にぶつかって・・・。」
           項垂れる龍麻を、京一は慌てて龍麻の手を握った。
           「なんだってぇ!それで大丈夫なのか?どこか怪我は!!」
           「大丈夫だって。それよりも・・・・。」
           ふと龍麻は背後の人混みを振り返った。
           「それよりも?どうしたんだ?龍麻。」
           「う・・・ん・・・。女の子にぶつかっちゃたんだけど、その子が・・・・。」 
           京一は、龍麻の手を握る手に力を込めた。
           「その子が、なんだって?」
           心なしか目が据わっている京一に、内心訝しげながらも、龍麻は先程の事を
           簡単に説明した。
           “以前にお会いしませんでしたかだとぉおおおおお!!それって、ナンパするのに、
           良く使う手じゃねぇかよっ!!畜生!俺の龍麻にちょっかい出そうとするなんて、
           目が高いじゃなくって、絶対に許さねぇ!!”
           「龍麻・・・きっとそれは・・・。」
           「うふふふ。きっと新興宗教の勧誘ね。」
           ただの逆ナンパだと言おうとする京一を押しのけ、美里が微笑みながら何時の
           間にか龍麻の横に立っていた。
           「うわぁああ!美里!一体何時の間に!!」
           驚く京一を無視すると、美里は龍麻の手を握り締めた。          
           「緋勇君、きっとその人は新興宗教の勧誘の方だと思うの。前世がどうのこうの言って
           近付くっていうのは、そういう妖しげな団体が使う手なのよ。その内に妙な壷やらを
           高値で売りつけられるわ・・・・。」
           そこで言葉を切ると、美里は龍麻の右手を引いた。
           「さぁ、恐ろしい事に巻き込まれる前に、新宿へ帰りましょう。」
           「そうだ!そうだ!!」
           美里の方がよっぽど恐ろしいと思うが、お互いの利害が一致した為、取り敢えず京一は
           美里に同意すると、空いている龍麻の左手を引いた。龍麻を狙っている女がいる所など、
           一分一秒でも居たくないというのが、二人の共通の思いだった。そんな二人に手を引かれ
           ながら、龍麻が思った事は、もう1度先程の少女に会いたいということだった。



           龍麻達三人の姿が人混みに消えると、建物の影から出てきた沙夜は、妖艶と微笑んだ。
           「やっと見つけたわ。緋勇さん・・・・。」




           真神学園の生徒会室・・・。
           生徒会長の椅子に深深と座って窓の外を眺めていた美里は、ノックの音に、椅子を
           反転させた。
           「どうぞ。」
           キィイイイ・・・・・。
           入ってきた長髪に黒いコートの男に、美里は悠然と微笑んだ。
           「ようこそ。唐栖亮一君。真神学園へ。」
           唐栖は、肩に乗せている鴉を腕に止まらせると、美里に対して優雅に一礼した。
           「うふふふ。その鴉を自在に操る≪力≫、私と緋勇君の愛の為に使わせて頂くわ・・・・・。」

           ふふふふふ・・・・。これで、緋勇君は、私のもの・・・・。