第3話

 

 

                中央司令部の奥には、国賓を宿泊させる迎賓館が建てられて
                いた。現在そこに滞在しているのは、ドラクマ国皇太子である、
                ルクタス・ドラグーンと、その妻である、皇太子妃のセーラ・
                ドラグーン。そして、御付の者達数十名。その警護を一任
                されているロイの表情は、優れない。愛しい妻と離れて、
                何で番犬をしなければならないのだっ!おまけに、皇太子は、
                最愛の妻、エドワードを侮辱した男。消し炭ならまだしも、
                警護をしなければならないジレンマに、最高潮に機嫌が
                悪かった。
                「・・・・折角、エディが来てくれたというのに、ゆっくりと
                抱きしめることが出来なかった・・・・・。」
                ガックリと肩を落とすロイに、ハボックが慌てたように、ロイの
                元へと駆け込んできた。
                「大変ッス!皇太子が!!」
                憎き男の名前に、不機嫌そうにロイの眉が顰められる。
                「ハボック。その名前を私の前で口にするな・・・・。」
                ギロリとハボックを睨みつけるロイに、ハボックは臆する事なく、
                ロイに報告する。
                「大変です!皇太子が逃げ出しました!!」
                「・・・・・それで?」
                やる気のない上司に、ハボックは頭を抱えながらも、何とか
                状況を説明する。
                「迎賓館を隈なく探しましたが、依然皇太子の姿は、見つかり
                ません!!どうやら、外へ出てしまわれたらしく、現在、必死の
                捜索を行っております。姿を消してから、そう時間が経っていない
                ので、恐らくはまだ中央司令部の敷地内にいるのでは・・・。」
                「・・・・ったく。世話の焼ける・・・・・。ハボック、後はお前に
                一任するから、適当にやっておけ。」
                まるっきり仕事をする気が起きていない上官に、ハボックは
                やれやれと溜息をつく。
                「准将〜。お気持ちは判りますが、何かあった場合、困るのは、
                准将なんですよ?」
                「ふん。勝手に抜け出されているんだ。こちらも勝手にさせて
                もらう。」
                不機嫌そうに踵を返すロイに、ハボックは切り札を出した。
                「今、大将、ホークアイ大尉とお茶を飲んでいる頃ですよね。」
                ポツリと呟かれたハボックの言葉に、ロイの足がピタリと止まる。
                ハボックは内心ニヤリと笑いながら、努めて何でもないような風を
                装って、ポツリと呟いた。
                「大将って、トラブル体質だから、皇太子の暗殺等の騒動に、巻き込まれ
                なければいいんッスが・・・・・。」
                「ハボック!!手の空いている者を全て使って、草の根を分けて
                でも皇太子を確保!部屋に監禁しろ!!いや、その前にエディだっ!!
                ホークアイ大尉に連絡!絶対にエディから眼を離すなと伝えろ!!」
                私も直ぐにエディの元へ行く!!と、鬼気迫るロイに、ハボックは、
                予想以上の効果に、コクコクと首を縦に振ると、慌てて駆け出した。
                「無事でいてくれ・・・・。エディ・・・・。」
                ロイは不安そうな眼で空を凝視した。
 




                「・・・・・ここは、どこだ?」
                その頃、ルクタスは、中央司令部の中庭を彷徨っていた。
                軍施設にしては、よく整備された中庭に、ルクタスは疲れた
                身体を休めようと、芝生の上に寝転ぶ。
                「全く、ここの警備体制はズサンだな。簡単に抜け出す事が出来た
                ということは、簡単に賊の侵入も許すということだ。軍事国家と
                いうから、どれだけ素晴らしい警備をするのかと思ったら、この
                程度か・・・・・。いや、あの男を怒らせたからなのか?」
                脳裏に浮かぶのは、先程挨拶に来た、警備責任者の
                ロイ・マスタング准将。黒目黒髪と、自国の者と同じ色彩に、
                自分に付き従う者達は、どこか安堵している事に気づいていたが、
                自分にとっては、その色は禍々しいものでしかない。この、銀の髪と
                灰褐色の瞳を持つ自分には・・・・・。
                「その上、名前が【ロイ】だと?」
                建国の皇帝と同名の男に、軽い嫉妬を覚える。だからつい怒らせて
                みたかったのだ。幸いにも、ロイ・マスタングの噂は、かねてより
                ドラクマ国へ届いている。准将という地位にも関わらず、その有能さ
                において、ドラクマ国以外にも、彼の動向を気にする国は多い。
                焔の守護を受けし者。彼を怒らせると、骨すら残らない。そして、
                女性との数多くの浮名など、噂に事欠かない。
                若くして准将の地位にいる事で、次期大総統は彼だという事を
                邪推する国などは、彼を取り込もうとしており、お陰で国内外から
                縁談が引っ切り無しに届いているらしい。
                数多の縁談を断っていたロイが、今年の4月に抜き打ちで
                結婚した事に、国内外は驚愕に包まれた。そして、結婚相手の
                素性が明らかになるにつれて、さらに人々を驚愕させた。
                ロイ・マスタングの花嫁の名前は、エドワード・エルリック。
                14歳年下で、最年少国家錬金術師でもある、【鋼の錬金術師】。
                勿論、男。伝え聞く噂によると、ロイ・マスタングは、エドワードと
                結婚する為に、大総統に掛け合って、同性婚を認めさせた
                ほどに、エドワードに夢中だというのだ。
                その噂を最初に聞いたルクタスは、初め鼻で笑ったものだった。
                一体、何の冗談かと。まさか、近隣諸国で注目を受けている男が、
                14も年下の、しかも同性である少年に恋をするとは、誰だって
                思いつかないだろう。
                「まさか、本気だったとは・・・・。」
                ロイを怒らせたくて、エドワードを貶した訳だが、あの相手を焼き殺そう
                とするロイの瞳を目の前に、あの噂が真実だと知ったルクタスは、恐れと
                同時に、嫉妬も感じた。自分も、そのような激しい恋をしてみたかった
                のだと・・・・。皇太子の身分では、それは許されないが。
                「あの少女は、今何をしているのか・・・・。」
                幼い頃、一度だけ会った少女が、ふと脳裏を掠める。くすんだ金髪に
                鳶色の瞳をした、ソバカスだらけの少女。決して美少女ではないが、
                あの頃の自分を十分に癒してくれた、美しい笑顔を持つ少女。
                もう二度と会えないが、元気でやっているだろうか。
                少女と出逢った庭と、ここの中庭は酷似しているからだろうか。
                そんなことをぼんやりと思っていた。
                「・・・・さて、これからどうするか・・・・。」
                暫くボンヤリと、空を眺めながら、ルクタスは呟く。そろそろ戻っても
                いいが、それでは面白くない。さて、どうしようかと、考え込んでいると
                いきなり突風が襲って来て、次の瞬間、顔に一枚の書類が当たって、
                思わず身体を起こした。
                「わりー。わりー。大丈夫か?」
                直ぐ近くで声が聞こえ、慌ててルクタスは、後ろを振り返った。
                「ま・・・まさか・・・・・。」
                相手の顔を一目見て、ルクタスは、驚愕に目を見開く。
                「大丈夫か?」
                自分の目に飛び込んできた、鮮やかな黄金の髪。
                そして、黄金の瞳。
                長年恋焦がれてきた人物と同じ顔を見て、ルクタスは
                あり得ない出会いに、茫然となった。
                「おーい?」
                何の反応しない自分に、相手は困惑気味に顔を顰める。
                「・・・だ・・・大丈夫だ。」
                混乱しながらも、ルクタスは、何とかそれだけを言うと、
                飛んできた書類を持っていることに気づくと、目の前の
                人物に差し出す。
                「おっ!サンキュー!!」
                屈託のない、嬉しそうな笑顔に、ルクタスの心臓が高鳴った。
                「じゃあ、本当に、ごめんなー!」
                そう言って、ニコニコと微笑みながら、その人物は、駆け出して
                行ってしまった。
                「あっ!!」
                後を追おうと手を伸ばすが、その手は途中で止まった。
                「今のは・・・・エディーナ姫・・・・?」
                まさか、そんなはずはない。
                あれは伝説の皇妃のはずだ・・・・・。
                だが、自分は確かに見たのだ。
                徐々にショックから抜け出したルクタスは、茫然と呟いた。
                「・・・・見つけた。【黄金の薔薇】・・・・・。」
                ただの御伽噺だと思っていた。
                だが、確かに存在していた事実に、知らず笑みを浮かべる。
                「君さえ手に入れば、俺は・・・・・。」
                ククク・・・・・。
                ルクタスの呟きは、再び起こった風によって消されてしまった。














                「ごめーん。ホークアイ大尉!遅くなった!!」
                「エディ!!」
                書類を持って部屋に入ってきたエドは、いきなり抱き締められて、
                驚いた。
                「ロイ!?何で・・・。」
                驚くエドから書類を受け取ると、ロイは傍らにいたハボックに
                押し付けると、エドワードの身体をきつく抱きしめた。
                「ロイ?どうしたんだ?震えているのか?」
                まるでエドに縋りつくように抱きしめるロイに、エドは不安そうな
                顔で、ロイの顔を覗き込む。
                「いや・・・何でもない。エディ。暫くこのままで・・・・。」
                部屋に入ったエドを見た瞬間、ロイは言い知れぬ恐怖を覚え、
                思わず抱きしめていた。まるで、エドが消えてしまいそうな気が
                したのだ。ロイはエドの暖かい体温を感じ、ホッと安堵の溜息を
                洩らす。
                「ロ〜イ?どこか具合でも悪いのか?」
                心配そうに顔を歪ませるエドに気づき、ロイは肩の力を抜くと、
                安心させるように微笑んだ。
                「いや。何でもない。ただ、最近は物騒だからな。悪いが、ハボック、
                エディを送ってくれ。」
                「えっ!いいよ!!今みんな忙しいだろ?俺1人でも・・・・。」
                「駄目だ!!」
                急に表情を固くするロイに、エドはビクリと震える。その様子に、
                エドを怖がらせたと気づき、慌ててロイは微笑む。
                「今日、みんなの代わりに、色々と仕事を手伝ってくれただろう?
                そのお礼だよ。」
                「でも・・・・。」
                困惑するエドに、今度はホークアイも薦める。
                「本当に、今日は助かったわ。だから、ね?エドワード君。」
                ロイとホークアイの両方から言われ、エドは渋々承知する。
                「では、気をつけて帰りなさい。エディ。頼んだぞ、ハボック。」
                エドには、蕩けるような笑みを浮かべていたロイは、ハボックには
                鋭い視線を送る。
                「イエッサー!!さぁ、大将。」
                「う・・・うん・・・・。」
                ハボックに促されて、一度部屋を出て行きかけたエドは、直ぐに
                クルリと身を翻すと、トテトテとロイに駆け寄って、首に抱きついた。
                「ロイ。お仕事頑張って・・・・。」
                真っ赤な顔でロイに口付けると、直ぐにロイから身体を離して、
                真っ赤な顔のまま、部屋を飛び出した。
                「あっ!おい!大将!!」
                慌ててその後を追うハボックを、見送りながら、ロイは口元に手を
                当てて、頬を紅く染めていた。普段、ロイが散々強請らなければ、
                決して自分からキスをしてくれないエドなだけに、今のエドからの
                キスは、ロイにとっては、思っても見なかった嬉しい誤算だった。
                「エディ・・・・。」
                ぼうっとなっている上官の後頭部を、嫉妬を隠そうともしないホークアイ
                の、容赦ない一撃が襲った。
                「何時まで惚けているつもりですか!!エドワード君の安全確保の
                為、不審者チェックの見直しをお願いします!!」
                床に倒れこむ上官の首根っこを掴むと、そのままズルズルと
                ロイ個人の執務室へ向かい、部屋の中に放り込む。
                「では、30分後に書類を取りに来ますので、サボらないで下さい。」
                ホークアイは、銃でロイを脅すと、ゆっくりと執務室から出て行った。
                ロイは何とか起き上がると、椅子に座ろうと机に向かった。その時に、
                偶然窓の下に、中庭をハボックと歩いているエドに、気づき、ロイは
                心配そうにその後姿を見送った。
                「何故だ。何故、こんなに不安なんだ・・・・・。」
                ギュッと胸を鷲掴みにされるような不安が、ロイを押しつぶす。
                以前、エドに自分の第六感を友達だと思えと言った事があった。
                今、そのロイの友達は、ロイに何かが起こると、警告を発するの
                だった。