「・・・・・でありますから・・・今夜の・・・殿下?」
心、ここにあらずと言ったルクタス皇太子に気付いた
侍従長は、今日の予定表を読み上げていた視線を、
皇太子へと向けた。
「・・・・・・・・・。」
無言のまま窓の外を眺めている主に侍従長は、
顔色を失くす。
「殿下、もしやお加減が・・・・・。」
「・・・・・大事ない。それよりも、調べてほしい事がある。」
ルクタスは、ゆっくりと視線を侍従長へと向けると、
思いつめた顔で命令を下す。
「ロ・イ♪」
今夜の歓迎パーティの最終確認をしに、会場内を点検していた
ロイは、最愛の妻の声に気付き、後ろを振り返った。
「エディ!?」
どうしてここに!?と驚くロイに、エドはクスクス笑うと、たったったっと
ロイに駆け寄ってきた。
「へへっ。驚いた?」
ニコニコと笑うエドに、ロイは茫然と頷く。
「どうしてここに・・・・。いや、何で軍服姿なんだ?」
「んー。大総統が、今夜のパーティに出席しろって。アルも一緒だよ?」
上機嫌のエドとは対称的に、ロイの機嫌が悪くなる。
「エディ。早くここから立ち去るんだ。」
「ふえっ!?何で?」
もしかして、俺邪魔?と途端に泣きそうになるエドに、ロイはきつく
抱きしめる。
「違う!そうじゃないんだ。今夜の歓迎パーティの主役は他国の皇太子
達だ。下手したら暗殺の可能性もある。それだけ、危険が伴う場所に、
君を置いておきたくなんだ。」
ロイの言葉に、エドは最初キョトンとしていたが、徐々に不機嫌そうな
顔でロイを睨みつける。
「何だよ!俺は鋼の錬金術師だぞ!!自分の身くらい自分で守れる!!」
憤慨するエドに、ロイは悲しそうな眼を向ける。
「そう。君は自分で自分の身を守れるだろう。だが、君が一瞬でも
危険に晒されるところを、私は見たくない・・・・・。」
「ロイ?震えてる?」
エドの肩に顔を埋めたまま、震えるロイに、エドは安心させるように、
ギュッと抱きしめた。
「大丈夫だから、心配すんな。」
「だが・・・・。」
心配そうなロイに、エドはにっこりと微笑む。
「大丈夫!【焔の錬金術師】が警備責任者をやっているんだ。
絶対に安全だって、俺信じてる。」
「エディ・・・・・。」
それに、とエドは真っ赤な顔で下を向きながら、小声でボソボソと呟く。
「それに、軍服着ていれば、ずっとロイの側にいられるんじゃないかって・・・。」
「エディ!!」
照れるエドの可愛らしさに、ロイは感極まって、きつく抱きしめようとしたが、
その前に、ロイの後頭部をホークアイの怒りの天誅が襲う。
「エドワード君。向こうでお茶の準備が出来たわ。一緒に飲みましょうね。」
床に倒れこむ上官の背中を、さりげなく踏みつけると、ホークアイは
エドの手を取って、にっこりと微笑む。
「えっ!?でも、ロイが・・・・。」
足元に倒れているロイを、心配そうに助け起こそうとするエドに、
ホークアイはにこっりと微笑みながら止める。
「今、准将は床下に不審物がないかのチェックを行っているのよ。
准将が仕事をしている間
エドワード君はこちらでお茶でも飲みながら、今夜の打ち合わせを
していましょうね。」
そう言うと、有無を言わせずエドを連れ去っていくホークアイの後姿を
見送りながら、側で一部始終見ていたハボックがボソリと呟いた。
「准将、イチャつくのは、時と場所を考えた方がいいッスよ・・・。」
プハーっと、タバコの煙を吐き出すハボックに、ロイは痛さのあまり、
呻き声しか出す事ができなかった。
「・・・・エディーナ姫・・・・?」
退屈な歓迎パーティ会場を、どこか不貞腐れた顔で見回していた
ルクタスは、会場の壁際を一定の間隔を空けて警備をする
兵士達の中に、一層人の目を惹く黄金の髪を見つけ、
茫然となった。そして、それが自分が捜し求めていた人物で
あることに気づいたルクタスは、逸る気持ちを抑えつつ、
足早にかの人の元へと歩き始めた。
「!!」
だが、近づくにつれて、その人物の横に、ピッタリと寄り添っている
人物に気付き、ルクタスは驚いて足を止めた。
「マスタング准将・・・?」
途端、ルクタスの中で怒りが込み上げてきた。男を妻にしている
くせに、その妻がいない所では、彼女に手を出しているのかと
思い、ルクタスは収まりきらない怒りのまま、2人に一歩
近づこうとした時、背後から声がかけられた。
「皇太子殿下、パーティは楽しんで頂いていますかな?」
こんな時に誰だと、後ろを振り向くと、この国の大総統が、
ニコニコと笑いながら立っていた。大総統では、無下にする訳には
いかず、ルクタスは、2人に心を残しながら、表面上はにこやかに
挨拶を交わす。
「ええ。素晴らしいパーティを開いて頂き、感謝の言葉もございません。」
「気に入って頂いて、こちらも嬉しいですぞ。おお、そうだ殿下に
紹介したい方がおりましてな。」
「紹介ですか?」
内心、いい加減にしろと言いたい気持ちを、グッと堪え、ルクタスは
引きつった笑みを浮かべる。
「ああ。皇太子も噂だけご存知かもしれませんが・・・・【鋼の錬金術師】
エドワード・エルリック、いや、エドワード・マスタングを、是非紹介
しようと思いましてな。」
「・・・というと、マスタング准将夫人ですか?」
妻がいる場所で、どうどうと浮気をしているロイに、ルクタスはあきれ返って
いた。やはり、結婚は何か裏があったのだろうかと、自分の考えに
没頭しているルクタスは、大総統の次の言葉に、固まってしまった。
「ああ、丁度准将の横にいますな。では、呼んで参りましょう。」
准将の隣という言葉に、ルクタスは思わず顔を上げて振り返ると、
大総統は、にこやかな顔でロイの隣にいる、黄金の髪の人物に
声をかけていた。
「・・・・・・マスタング准将夫人だと・・・・?」
漸く見つけたというのに。
何故、他の男のものなのだ!!
これほど他人に憎悪を感じた事はなかった。
大総統の後ろから、かの人がゆっくりとやってくるのを、ルクタスは、
先程とは違い、絶望的な眼で見つめた。
「お待たせしました。この者が、【鋼の錬金術師】のエドワード・マスタング
です。」
「鋼の錬金術師のエドワード・マスタングです。お会いできて、光栄です。
殿下。」
にこやかに挨拶をするエドを一目見て、ルクタスは、少年のように、
頬を紅く染めた。
”やはり、似ている・・・・。”
黄金の髪を一つに束ね、にっこりと微笑む姿は、幼い頃からずっと
憧れてきた、【黄金の薔薇】と異名を取るほどに美しかった伝説の
皇妃、エディーナ姫に瓜二つだった。
「・・・ルクタス・ドラグーンです。ご高名な【鋼の錬金術師】殿に
お会いできて、望外の喜びです。」
そっと華奢な手を取って、ゆっくりと唇を手の甲へと押し当てようと
するが、その前に、エドワードの姿が目の前から消えた。
ゆっくりと顔を上げると、エドを己の腕の中に閉じ込めたロイが、
嫉妬に狂った、燃えるような瞳で、じっとルクタスを睨みつけて
いた。
”他国の皇太子に、いい度胸だ・・・・。”
ルクタスは、ゆっくりと姿勢を正すと、にっこりとロイに微笑んだ。
”嫌いではないな。これほどあからさまに敵意をむき出しにする
人間は・・・・。散々踏みつけてみたくなる。それこそ、再起不能にね。”
ルクタスの心の中で、ロイに対する敵愾心が沸き起こる。
この男にだけは負けたくない。
では、どうしようか?
ふとある計画を思いついたルクタスは人の良い笑みを浮かべて、
大総統に向き直った。
「伝え聞くところによると、鋼の錬金術師殿は、マスタング准将の
奥方だとか?」
途端、エドの顔が恥ずかしさのあまり、真っ赤な顔で俯いたのを、
視界の端で捕らえたルクタスは、内心感嘆の声を上げる。
”なんて・・・可憐な・・・・”
「このような美しい奥方をお迎えになった准将は、羨ましいですね。」
ルクタスは、先日の暴言など忘れたような顔で、ゆっくりとロイに
笑みを浮かべる。だが、その眼が、何かを狙う猛禽類の眼のような
事に気づいたロイは、さりげなくエドを自分の後ろに隠すと、
にっこりと微笑み返した。売られた喧嘩は買おうという訳だ。
「恐れ入ります。殿下。では、私達は警備がありますので、これで。」
そう言って、エドを伴って、持ち場に戻ろうとするロイに、ルクタスは、
神妙な顔で頭を下げる。
「先日は、大変失礼をした。この通り謝るよ。」
いきなり頭を下げた皇太子に、回りにいた者達は驚く。それは
頭を下げられたロイも同じで、一瞬驚愕に動きを止めた。
「このような素敵な奥方を、良く知りもせずに侮辱してしまった
私を許してほしい。」
急変した皇太子の態度に、ロイは探るようにじっと見つめていると、
横にいたエドが、ツンツンとロイの袖を引っ張った。
「何の話?」
「そ・・・それは・・・・。」
まさか本人に、皇太子の暴言を言うわけにはいかず、どうしようかと
思案していると、ルクタスが顔を上げて、今度はエドに話しかけた。
「実は、近頃良くない事が起こってばかりいたので、ついイライラを
准将にぶつけてしまったのですよ。」
申し訳なさそうな顔のルクタスに、エドは屈託のない笑みを浮かべる。
「なんか良くわかんないけど、反省しているみたいだから、ロイも
そんなに怒るなよ?」
ニコニコと微笑むエドに、否とは言えず、ロイは渋々頷く。
「いえ・・・。お気になさらずに。」
漸くそれだけ言うロイに、ルクタスはホッと安心したように笑みを
浮かべる。
「そう言って頂けて、とても嬉しいです。ところで、奥方を少しの間、
お借りしても宜しいでしょうか?」
途端、ロイの機嫌が下降する。
「?どうして?」
首を傾げるエドに、ルクタスは憂いを帯びた表情で答えた。
「実はあなたにお願いがありまして・・・・。」
「俺に?」
ますます訳が判らずに首を傾げるエドに、ルクタスは、大きく頷いた。
「ええ。是非、あなたから錬金術を習いたいのです。」
皇太子の爆弾発言に、エドとロイは固まる。
「な・・・なんで俺が・・・・?」
困惑するエドを守るようにロイが間に入る。
「申し訳ありませんが、その申し出を受けるわけには参りません。」
だが、ロイを無視して、ルクタスはエドの説得にあたる。
「鋼の錬金術師殿、実は私が錬金術を習いたいと思ったのは、
決して、軽い気持ちではないのです。・・・・愛する人を守る為です。」
「愛する人?」
その言葉に、ピクリとエドが反応する。
「ええ。先日、私は命を狙われたのですが、その時に、私を庇った
兵士が1人死にました。そして、その時近くにいた妃も、それが原因で
早産をしまして・・・・・。双子のうちの息子の方は、辛うじて
命は取り留めたのですが、娘の方が死産でした。」
「!!」
驚いて、悲しそうに顔を歪めるエドに気づき、ロイは優しく肩を抱き寄せる。
「今後このような事があった時、せめて自分の身は自分で守りたいのです。
私が狙われる事で、誰も死なないように・・・・そして、愛するものを守れる
ように・・・・・。」
俯くルクタスに、エドは穏やかな笑みを浮かべる。
「わかった!その話を引き受ける!」
「エディ!?」
慌てるロイに、エドはにっこりと微笑む。
「どこまで出来るか判らないけど、俺やりたい。」
「エディ・・・しかし・・・・。」
まだ反対するロイを押しのける形で、ルクタスはエドの手を握ると、
何度も有難うと呟いた。
「それでは、明日からお願いします。」
そう言って、軽やかな足取りで妃の元へ戻るルクタスを、手を振って
見送るエドを、ロイは不機嫌も隠そうともせずに腕を掴むと、
強引に歩き出した。
「痛いって!ロイ!!」
人気のいない廊下に出ると、エドはロイの腕を振り払った。
「何怒っているんだよ!ロイ!!」
「・・・・何故、引き受けたんだ。」
本気で怒っているロイに気づき、エドは驚いて一歩後ろに下がる。
「ロ・・・ロイ?」
「エディ。お願いだから、あの男に近づかないでくれ。」
怯えるエドを抱き寄せると、ロイはきつく抱きしめた。
「・・・・なぁ、何でそんなに皇太子を警戒するんだ?」
溜息をつくエドに、ロイは真剣な表情できっぱりと言い切った。
「決まっている!あの男は君を狙っている!!」
その言葉に、エドはがっくりと肩を落とす。
「あのなぁ!自分を基準に考えるのは止めろっていっつも言っている
だろ!?」
「何を言う!私のエディを一目見て恋に陥らない人間などいない!」
開き直るロイに、エドはこめかみを引きつかせる。
「お前、皇太子の話を聞いていたか?」
どこをどうやったら、そんな話になると言うのだろうか。
呆れるエドに、ロイは嫉妬に狂った眼を向ける。
「あんなのは、ただの君の気を惹くための嘘だ。」
「・・・・・どうしてそんな事は言えるんだ?」
むーと上目遣いで睨むエドに、ロイは神妙な面持ちで答えた。
「・・・・・皇太子と皇太子妃の様子を見ていればわかる事だ。」
子どもを失った悲しみで沈み込んでいる妃を、何故あの男は
支えようとしないのだ。あの男は、妃をまるで道具を見るような
冷たい視線しか与えない様子を見ているだけに、先程の
ルクタスの言葉が嘘であると直感的に悟っていた。
「でも!俺はやると言ったらやる!!」
一歩も引かないエドに、ロイは溜息をつく。昔からエドは一度言い出した
事は絶対に撤回しない。その事が良く分かっているだけに、今回は
ロイの方が折れる形になった。
「ならせめて、アルフォンス君を助手に、ホークアイ大尉を護衛に
つけてくれ。そして、皇太子と2人きりにならないと誓ってくれ。」
懇願するロイに、エドは渋々頷いた。
「全く・・・・我侭だぞ。ロイ・・・・。」
溜息をつきながら、自分を抱きしめるロイの背中に腕を回しながら、
エドは内心嫉妬しているロイに、自分がいかに愛されているのかを
感じ、嬉しく思うのだった。
「・・・・殿下・・・・。」
部屋に戻ったルクタスが、妻には眼もくれず、嬉しそうに
エドワードに関する報告書を見ている姿を、皇太子妃であるセーラは
ただぼんやりと眺めていた。
先程のパーティ会場で遠くから見た黄金の髪の人物に、セーラは、
最も恐れていた時が訪れたと、悟ったのだ。
セーラはこれ以上夫を正視できずに、ゆっくりと視線を反らす。
大きな窓から見える三日月が、まるで泣いているようだと
思うのだった。