小さな祈り






   慶応四年 二月の末
   新選組が京から江戸に引き返してきて
   もうすぐ二月が過ぎようとしていた。


   近藤さんの尽力により、
   新選組は【甲陽鎮撫隊】と名を改め、
   江戸に進軍してくる薩長軍に先駆けて
   甲府城に入城する命が下っていた。


   これは、私達が甲府に向けて出発する
   僅か数日前の物語・・・・・・。







   「もう食えねえ・・・・・・・・。」
   モゴモゴと何か呟きながら、新八は手近な徳利を抱きかかえるようにして、
   撃沈する。
   「あ〜、新八の奴、眠っちまったぜ。起きろ〜。」
   ほろ酔い加減にご機嫌な原田が、眠ってしまった新八の肩をベシベシと叩く。
   「ちょっとぉ〜、左之さん!ちゃんと連れて帰ってよね。僕、新八さんの面倒を見るの嫌ですよ?
   これでも、病人なんでしゅから〜。僕は〜。」
   じゃないと斬っちゃいましゅよ〜と、総司が半目で絡んでいるのは、原田ではなく平助。
   対する平助も何がおかしいのか、先程から意味もなくケラケラ笑っている。
   「お前ら・・・・・いい加減にしろ!明日は早いんだぞ!!それなのに、こんなに酔っ払いやがって・・・・。」
   もともとお酒が飲めない(本人曰く飲まないだけ)の土方は、目の前のカオス状態に、こめかみをピクピク
   引き攣らせる。
   「副長の言う通りだ。だいたいお前たちは普段から酒を飲み慣れているのに、一向に自分の酒量を
   把握できていないとは、どういうことだ?この間も、新八と左之はそれで店の者は勿論の事、迎えに行った
   平隊士達にも迷惑を掛けていたな・・・・・。」
   「・・・・・・・・・・・・・斎藤、何で柱に向かって語ってんだ?」
   しっかりとした口調で、延々と原田達を諭している斎藤ですら、既に酔っぱらっているのだろう。原田達とは
   反対方向にある柱に向かって、一人延々と話しかけている。
   「ったく!しょうがねえなぁ!おい!俺は厨にいる千鶴の様子を見てくる。俺達が戻ってくるまでに、ちゃんと酔いを
   覚ましておけ!」
   土方は立ち上がると、ご丁寧に、一人一人の頭を叩き、そのまま部屋を出て行った。
   「・・・・・・・・・・・・・・・・・行ったか?」
   土方の足音が聞こえなくなると、原田がムクリと身体を起こす。
   「もう行ったみたいだね。」
   総司もクスリと笑いながらやれやれと肩を竦ませる。
   「ったく!土方さんも千鶴が気になるなら、さっさと千鶴の所に行けばいいのにさぁ・・・・・。お蔭で俺達
   下手な芝居をしなくっちゃならなかったじゃん!」
   ムックリと平助も起き上がると、土方に殴られた頭を摩る。
   「そう言うな平助。副長にも色々とあるのだ。」
   溜息をつきながら、斎藤が原田達に向き合う様に座り直す。
   「新八は本当に眠ってしまったのか?」
   ふと未だ眠っている新八を横目に見ながら、斎藤は呆れた顔をする。
   「ああ。ここに来る前からだいぶ飲んだし、何よりも、千鶴の旨い酒の肴があるんだ。気心の知れた仲間もいて、
   ついついいつも以上に羽目を外しちまったんだろ。」
   クククと笑う原田に、総司はふと寂しそうに呟いた。
   「・・・・・・・・・・・・・やっぱ、千鶴ちゃんも一緒に連れて行くんだ。」
   「そりゃそうだろ。表向きは羅刹隊の所に残しておくのは心配だとか言ってるけど、ぜってー、土方さんが手放せないと
   俺は見たね。江戸から帰ってから、よっぽどのことがない限り、常に千鶴を傍に置いてるしな。」
   千鶴の作った肴の残りをパクリと食べながら、しみじみと平助が答える。
   「だよな。・・・・・・・・・・・・おい!二人が戻ってきたみてえだぞ!みんな、寝たふりしろ!!」
   こちらに近づいてくる気配に気づき、慌てて原田が声を荒げる。









   「おい!酔いは醒めた・・・・・・・・・・・・・・・・・って、眠ってんのかよ・・・・。」
   ガラッと襖を開けた先の光景に、土方は頭を抱える。そんな土方の後ろから、ヒョイッと顔を覗かせた
   千鶴は、全員がマグロのように眠りこけている様子に、思わず顔を引き攣らせる。
   「・・・・・・・・・・・・・ここは、私に任せて、土方さんは屯所にお戻りください。明日も、早いんですよね?」
   千鶴の言葉に、土方はギョッとなって後ろを振り返った。
   「な・・・何言ってやがんだ!お前も俺と一緒に帰るに決まってんだろ!」
   「ですが、ここの後片付けもしなければなりませんし、目が覚めた皆さんのお世話も・・・・・。」
   困ったように眉を下げる千鶴に、土方は呆れたような顔をする。
   「お前がそこまでこいつらの世話をする必要なんてねえ。ほら!こいつらの事はもういいから、
   さっさと帰るぞ!」
   「土方さん!待ってください〜!!」
   本当にさっさと踵を返す土方に、千鶴は慌てて追いかけた。









   「本当に、皆さんをあのままにして宜しかったのでしょうか・・・・・。沖田さん、ご病気なのに・・・・・。」
   「いいんだよ!それに、総司の奴は、ちゃっかり一人だけ布団の中で寝ていたから、風邪引かないだろうよ。
   他の野郎は、自業自得だ。」
   「ですが・・・・・・・・・。」
   総司が養生している家を出てから、心配そうに何度も後ろを振り返る千鶴に、業を煮やした土方は、有無を言わさず
   千鶴の手を取ると、そのまま強引に歩き出す。
   「あの!土方さん!?」
   驚く千鶴に答えず、土方はまるで何かから逃げるかのように、月明りの中、屯所への道を急ぐ。
   ”あの時と一緒・・・・・。”
   脳裏には、以前、角屋に潜入捜査をした夜の事が浮かび上がる。あの時も島原から屯所へ帰る道すがら、ずっと土方は
   千鶴の手を引いてくれた。あの時のように、今も無言のまま、ぐいぐいと自分を引っ張る様にして歩く土方の背中を、
   千鶴はまるで夢を見ているような心地で、ぼんやりと見つめる。
   「あの時と一緒だな・・・・・・・・・・・・。」
   まるで千鶴の心を読んだかのように、土方はポツリと呟いた。
   「え?」
   驚く千鶴に、土方は立ち止まると、ゆっくりと振り返る。
   「ほら、前にあっただろ?お前が角屋に潜入捜査した夜、屯所へ帰る間、ずっとこうして手を繋いでいた。」
   そう言うと、土方は握っている千鶴の手を愛おしそうに見つめた。そのあまりにも美しい横顔に、千鶴は真っ赤になって
   俯く。そんな千鶴にクスリと笑うと土方は手を繋いだまま、ゆっくりと歩き始める。先程とは違い、前ではなく
   自分の横を歩く土方の様子を伺いながら、千鶴はドキドキする心音が土方に伝わるのではと、落ち着きもなく
   目をキョロキョロさせた。
   「そういえば、あの時お前は足を挫いたんだったな。」
   唐突に言われ、千鶴はビクリと肩を揺らす。
   「えっと・・・その節は大変ご迷惑を・・・・・・・・。」
   真っ赤な顔で俯く千鶴を横目で見ながら、土方は大げさに肩を竦ませる。
   「全くだ。足を挫いてるというのに、翌日は朝早くから、やれ朝餉の支度だの、洗濯だの、挙句に掃除までしやがって。
   心配するこっちの身になれってんだ!まぁ、罰として数日のあいだ、外出許可を出さなかったがな。」
   土方の言葉に、千鶴はギョッとなる。
   「え!あれって、わざとだったんですか!?酷いです!!」
   プクっと頬を膨らませる千鶴に、土方は声を上げて笑う。
   「冗談だよ。俺がそんな事するわけねえだろ?あの時は年の瀬で、物騒だったから仕方なかったんだ。」
   「・・・・・・・・それはそうですけど・・・・。」
   納得がいかないのか、チラチラと不服そうに自分を見る千鶴に、土方は瞳を和ませる。
   「何だ?何か言いたいことがあるって顔だな?」
   クククと笑う土方に、千鶴は頬を紅く染めながら、ずっと気になっていたことを口にした。
   「・・・・・・・あの時、原田さんからお聞きしたんです。土方さん、私が疲れているだろうからって、あまり仕事を回さないように
   皆さんに言って下さったって・・・・・・・・・。」
   「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そ・・・・それは、原田の気のせいだ。」
   頬を紅く染めて顔を逸らす土方に、千鶴はクスリと微笑むと、キュッと今だ繋がれたままの土方の手を握る。
   ここでお礼を言ってしまえば、土方の事、照れてさっさと一人で先に行ってしまうだろう。繋がれた手を解きたくなくて、
   千鶴はあえて話を逸らせる。
   「・・・・・・・・そういえば、甲府へ行く途中、日野へ立ち寄るとお聞きしましたが・・・・・。」
   「ああ。通り道だからな。・・・・・・・・・・・・・・・こんな時じゃなかったらお前を姉さん達に・・・・・。」
   そこまで口にして、ハッと土方は口に空いてる方の手を当てる。
   「土方さん?どうかなさったんですか?」
   キョトンと首を傾げる千鶴に、何でもねえと首を振りながら、再び歩き出す。
   “俺は今、何を言おうとした?”
   チラリと横を歩く千鶴を見つめながら、土方は自問自答する。
   “こんな時でなけれな、千鶴を姉さん達に紹介したいだなんて・・・・・・・・・・・俺は何考えてんだ。今は近藤さんや
   新選組の事を一番に考えなきゃなんねえ時だろうが。それに・・・・第一、俺と千鶴はそんな仲じゃねえし。”
   悶々と考え込んでいる土方に気づかず、千鶴はどこか嬉しそうな表情で話し始めた。
   「覚えていらっしゃいますか?以前西本願寺の屯所で、年末の大掃除をした時の事を。」
   「ん?ああ、あの時は俺の掃除を手伝ってくれたんだったな。」
   千鶴に話しかけられ、土方はハッと我に返る。
   「あの時、土方さんから日野のお話をお聞きして、いつか行ってみたいと思ってたんです。土方さんが小さい頃遊んだ
   お寺とか・・・・・近藤さんと夢を語り合ったっていう河原とか・・・・・私の知らない、【新選組】の原点を見てみたいんです。」
   うっとりとした表情になる千鶴は、次の瞬間、顔を蒼褪める。
   「千鶴?」
   急に様子がおかしくなった千鶴に、土方は訝しげに声を掛ける。
   「私ったら・・・・・・・すみません。遊びで行くのではないのに・・・・・。」
   シュンと肩を落とす千鶴に、土方は苦笑する。
   「そんなんで怒りはしねえよ。・・・・・・・・・・・・・・でも、ありがとな。俺の故郷を【新選組】の原点って言ってくれてよ。
   そうだな・・・・・・・・いつか・・・・・・・・・。」
   「・・・・・・・いつか?」
   土方の言葉に、千鶴は続きを促す様に首を傾げる。しかし、土方はただ微笑むだけで何も言わず、視線を前に
   戻すと、再び無言で歩き出す。
   


   “いつか・・・・・・・・・・・。”


   その言葉に、土方はどんな想いを込めたのか、千鶴には分からない。
   真っ直ぐ前だけを見続けて歩く土方の姿が、土方の生き様のようで、千鶴は目が離せない。
   


   “いつか・・・・・・・・・・・。”


   この手を離す時が来るのかもしれない。
   それが嫌で、千鶴は土方と繋ぐ手に力を込めた。




   “いつか・・・・・・・・・・・・・。”



   千鶴に日野の風景を見せることができるだろうか。
   幼き頃、慣れ親しんだ日野を。
   千鶴が【新選組の原点】だと言ってくれた故郷を。




   “いつか・・・・・・・・・・・・・・。”
   


   この手を離さなければならない日が来るかもしれない。
   だが、それが少しでも先であるようにと、千鶴の手を握りしめながら祈る。



   “せめて、今だけは・・・・・・・・・・・。”
   


   この道がもう少し長く続いて欲しい。
   そんなことを二人同時に思いながら、
   ゆっくりと二人は繋いだ手の指を絡め合わせた。




   二人の小さな祈りは、月だけが見つめていた。






                                          了



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補足説明

土方歳三×雪村千鶴アンソロジーWEB企画
花誘奇録様に提出した作品です。


このお話は、アニメ『薄桜鬼 碧血録』DVD アニメイト全巻購入特典ドラマCD
「小さな集い」を元ネタにしております。
CDをご存じない方の為に内容を書きますと、甲府に向けて出発する数日前、
何だかんだと言いながら、養生する総司の元にみんなが集まり、最後は
酒盛りをするというものです。あの後、どうなったのかなぁ〜。ひじちづなら、
多分こう!という妄想でこのお話は生まれました。
(ちなみに、年末の大掃除云々は、GREE版薄桜鬼のイベントの
「土方と師走の大掃除(ハッピー)」ネタです。)




このページのどこかに、ギャグ編とシリアス編の2つの
おまけ編が隠されております。
宜しければ探してみてください。







尚、隠しSS関しての質問などには、一切お答えしませんので、
ご了承ください。

                            
                                






                                  









おまけ








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